mastodonien.de

social.vivaldi.net

Zeitpunkt              Nutzer    Delta   Tröts        TNR     Titel                     Version  maxTL
Di 23.07.2024 00:00:29    51.742     +49    2.213.035    42,8 Vivaldi Social            4.2.10   1.337
Mo 22.07.2024 00:00:32    51.693     +27    2.209.656    42,7 Vivaldi Social            4.2.10   1.337
So 21.07.2024 00:01:00    51.666     +39    2.206.038    42,7 Vivaldi Social            4.2.10   1.337
Sa 20.07.2024 00:00:00    51.627     +15    2.202.571    42,7 Vivaldi Social            4.2.10   1.337
Fr 19.07.2024 13:57:34    51.612     +74    2.201.079    42,6 Vivaldi Social            4.2.10   1.337
Do 18.07.2024 00:02:08    51.538     +37    2.196.543    42,6 Vivaldi Social            4.2.10   1.337
Mi 17.07.2024 00:02:01    51.501     +40    2.193.235    42,6 Vivaldi Social            4.2.10   1.337
Di 16.07.2024 00:01:34    51.461     +50    2.190.243    42,6 Vivaldi Social            4.2.10   1.337
Mo 15.07.2024 00:01:57    51.411     +38    2.187.141    42,5 Vivaldi Social            4.2.10   1.337
So 14.07.2024 00:00:17    51.373       0    2.183.921    42,5 Vivaldi Social            4.2.10   1.337

Di 23.07.2024 09:42

ある韓国人被爆者が切り開いた道が、世界の被爆者の希望になった 「日本人として戦争に駆り出された」郭さん、57年後の完全勝訴
nordot.app/1019073030089424896
海外に住む被爆者は長い間、日本に住む被爆者と同じ医療支援などの援護を受けられなかった。「被爆者はどこにいても被爆者」と訴え、外国人や海外在住の日本人、日系人ら在外被爆者が援護を受けられる道を先駆者として切り開いたのが、2022年12月31日に98歳で亡くなった韓国人被爆者の郭貴勲(クァク・クィフン)さんだ。
 郭さんは日本の植民地だった朝鮮で生まれ育ち、旧日本軍に徴兵されて広島で被爆した。日本人として日本の戦争に駆り出され、被爆したのに、戦後は韓国人だからと何の補償もない。たたき込まれた流ちょうな日本語で「日本人被爆者と同等の権利を」と求め、裁判を闘った。
 大阪市で4月1日、郭さんをしのぶ会が開かれた。全国から被爆者や支援者、弁護士や被爆医療の医師ら約50人が駆けつけ、遺志を継ごうと誓い合った。郭さんが生涯をかけた願いは、世界中の被爆者の救済だった。

▽朝鮮人徴兵1期生
 郭さんは1924年7月1日、朝鮮半島南部の全羅北道任実郡で生まれた。太平洋戦争末期、日本は足りない兵力を補うため、44年から植民地でも徴兵を実施。郭さんは全州の師範学校に在学中の44年9月、朝鮮人の徴兵第1期生として旧日本陸軍に召集された。
 広島の西部第2部隊に配属され、幹部候補生として訓練する中、翌45年8月6日の朝を迎えた。米軍機が投下した原子爆弾の爆心地から約2キロ、工兵隊の営庭(現中区白島北町)で行進していた時だった。上半身に大やけどを負い、3日間昏睡状態となったが、何とか生き延びた。
 間もなく祖国へ帰り、戦後は韓国で教師となった。いつもきっちりとした服装の郭さん。胸や腕のケロイドを隠し、海水浴には行かなかったという。
 韓国では「原爆で日本の敗戦が決定的となり、祖国解放となった」という考え方が強く、体調不良を抱える韓国人被爆者の多くは医療支援もなく貧困の極みにあった。その中で郭さんは、1950年代から韓国の新聞に被爆体験を寄稿し、補償を訴えていた。67年には韓国の被爆者団体結成に関わり、支部長に就任する。

[Öffentlich] Antw.: 0 Wtrl.: 0 Fav.: 0

Antw. · Weiterl. · Fav. · Lesez. · Pin · Stumm · Löschen